正信偈(2)阿弥陀仏
 

 第四章 親鸞聖人の教えの基本

 正信偈の各段の学習に必要な親鸞聖人のみ教えの基本を整理しました。
 その要点は、①阿弥陀仏②名号③信心④正定聚と往生浄土です。

第一節 阿弥陀仏

 親鸞聖人のみ教えは、すべてを阿弥陀仏にまかすことにその特色があります。

【阿弥陀仏とは】

 では、阿弥陀仏とはどのような仏なのでしょうか。

 釈尊が説かれたお経である『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』に阿弥陀仏について説かれています。この三部のお経を浄土三部経といいます。

 『無量寿経』によりますと、法蔵という菩薩が阿弥陀仏になったことについての内容があります。

 その内容は

 「法蔵菩薩は、『世の苦しみ悩んでいる人々を救いたい』と師である世自在王仏(世間一切法に自在なることを得、世間を利益(りやく)するに自在を得た仏/浄土真宗辞典P414)に告げると、世自在王仏は二百一十億という数のたくさんの仏の世界を見せた。

 法蔵菩薩は、それらのどの浄土よりも優れた浄土をつくり、どんな人でもその浄土に生まれることのできる方法について、五劫(劫とは途方もない年数の単位)というとてつも長い年月にわたって思案した。(これを五劫思惟といいます)

 その結果、四十八の願い(四十八願)を建て、『この願を果しとげないようなら、誓って仏にはならない』と重ねて誓いを建てた。

 その目的達成のために、法蔵は兆載永劫(ちょうさいようごう)という五劫よりも遙かに長い期間、修行をして、ついにその目的を果たして仏となった。それは今から十劫の昔であった。

 その仏に成った名を無量寿仏(阿弥陀仏のこと)といい現に西方の安楽という国(阿弥陀仏の浄土)におられる。』(浄土三部経現代語版P16-70参考要約)


 このように今から十劫の昔、法蔵はついに悟りを開いて阿弥陀仏となりました。菩薩のとき(因位(いんに)といいます)の四十八願が成就され、阿弥陀仏の救いが完成したのです。

 現代人は、神話的な表現を好まない傾向がありますが、教えの真意を伝えるためのひとつの宗教的表現としてとらえ、疑いの心(疑蓋[ぎがい/疑いのふた]といい後述します)をいったんはずして、そのまま受け取ってみてください。

 阿弥陀という言葉は、インドのアミタという『はかりない』という意味の言葉を中国で漢字にしたもので、「寿命がはかりない(寿命無量)」という『アミターユス』、「光明がはかりない(光明無量)」という『アミターバ』をあらわしています。

 光明無量というのはどこでも照らしているということ、寿命無量というのは過去・現在・はるか未来まで、いつでも照らしているということなので、この仏の光明に「いつでもどこでも」すべての人が照らされているのです。

【二種の法身】

 二種法身(ほっしん)というのは、法性(ほっしょう)法身と方便(ほうべん)法身のことです。これは親鸞聖人が七高僧の一人曇鸞大師のお考えを承けられたものです。

 法性法身とは、さとりそのものである『真如(しんにょ)=絶対存在』を本身とする仏身のことで、それは私どもの認識を超えたものです。これについて親鸞聖人は、「(法性)法身は色もなく、形もない。だから、心にも思うことができないし、言葉にも表すことができない。」(唯信鈔文意現代語版P23)と言われました。

 このように、法性法身は私たち衆生の認識がおよびません。そこで、法性法身が絶対の世界から衆生救済のはたらきをするために、形をあらわし、その名を示されることとなります。これを方便法身といいます。

 親鸞聖人は、阿弥陀仏は法性法身という絶対の世界から、衆生を救うために、法蔵菩薩の姿となり、願をおこし修行して成仏されたのだといわれます。

 親鸞聖人は、法性法身(真如=絶対存在)が「衆生を救済するために具体的なかたちあるもの」として現れたお方が阿弥陀仏であるといわれるのです。

 この二種法身のうち、浄土真宗は如来の信仰を対象としているので、阿弥陀仏の方便法身のお姿をもって、一宗の本尊とします。

 

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