正信偈(1)正信偈と親鸞聖人と内容

正信偈を読むための前知識


 この「正信偈を読むための前知識」は、「私の正信偈学習ノート」本文の理解をたやすくするために必要な正信偈の知識と親鸞聖人の教えをまとめたものです。

 まず、①正信偈とは何か、②正信偈を書かれた親鸞聖人について、③正信偈の内容の構成、④親鸞聖人のみ教えの基本について書かれています。これらを理解した上で、正信偈本文を学習すると、よりわかりやすくなると思います。

 
第一章 正信偈とは 

 浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の著書であり、浄土真宗の教義が詳細に示されてあるのが教行信証(きょうぎょうしんしょう)です。

 教行信証は正式には「顕浄土真実教行証文類(もんるい)」といい、教巻、行巻、信巻、証巻、真仏土(しんぶつど)巻、化身土(けしんど)巻の六巻からなります。浄土真宗の根本聖典とされます。(ここでは便宜上「教行信証」と記します)

 その行巻の最後の部分に正信偈はあり、正式名は「正信念仏偈」といいます。親鸞聖人の書かれた百二十句の漢文で書かれたうたです。

 この正信偈は、本願寺第八代の蓮如上人が、和讃も加えて印刷されることによって、日本中の人々が唱和するようになりました。

  

第二章 親鸞聖人

 

 親鸞聖人は浄土真宗の開祖(宗祖)です。

 その御生涯については、このサイトの「宗祖親鸞聖人」のページをお読みください。

 二十九才のとき、京都の町で専修(せんじゅ)念仏の教えを説く法然(ほうねん)聖人(しょうにん)の門弟となりました。その教えは、比叡山で歩んできた修行とは異なり、如来のはたらきにすべてを託する本願(ほんがん)他力の浄土の教えです。

 五十二才のときに、御本典(ごほんでん)である「教行信証」を著し、その後も晩年まで推敲を重ねられました。六十二才ころ京都に帰り、教行信証の完成、三帖(さんじよう)和讃(わさん)をはじめ多くの著述を残し、享年九十才でご往生されました。

 

第三章 正信偈の内容

 正信偈は、初めの二行に阿弥陀仏の尊号をあげて自らの帰敬(ききょう)の意をあらわし、(帰敬頌(じゅ))、次に前半部分の法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ)から難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)までは、浄土三部経ことに無量寿経(むりょうじゅきょう/大(だい)無量寿経または大経(だいきょう)ともいう)のこころが述べられています。経に依って阿弥陀仏と釈尊(お釈迦様)の徳を讃(たた)える段という意味で、依経(えきょう)段といいます。(浄土真宗辞典P356)

 浄土三部経とは、無量寿経(大経)、観(かん)無量寿経(観経(かんぎょう))、阿弥陀経(小経(しょうきょう))の三部の浄土について説かれたお経のことです。
 特に、親鸞聖人は、教行信証教巻において「真実の教を顕せば、無量寿経である。(中略)阿弥陀仏の本願を説くことをこの経のかなめとし、仏の名号をこの経の本質とするのである」(教行信証現代語版P9)と示され、『如来の本願』と『名号のいわれ』が説かれた真実の教えであるとしました。

 後半部分は、印度西天之論家から最後の唯可信斯高僧説まで、七高僧(しちこうそう)の解釈に依って説かれているので「依釈(えしゃく)段」といいます。

 七高僧とは、三国にわたって無量寿経の教えを伝承してくださった七人の高僧をいいます。

  (七高僧については正信偈本文で紹介します)

 

 【七高僧】

インドの

 龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)

 天親菩薩(てんじんぼさつ)

中国の  

 曇鸞大師(どんらんだいし)

 導綽禅師(どうしゃくぜんじ)

 善導大師(ぜんどうだいし)

日本の  

 源信僧都(げんしんそうず)

 法然聖人(ほうねんしょうにん)

 

 親鸞聖人は、この七人の高僧の徳をそれぞれの著作に基づいて讃えています。

 その著作は下記の通りです。


 龍樹菩薩は

  『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』の

  『易行品(いぎょうぼん)』

 

  天親菩薩は

  『浄土論(じょうどろん)』

 

  曇鸞大師は

  『浄土論註(じょうどろんちゅう)』 (往生論註ともいう)

 

 導綽禅師は

  『安楽集(あんらくしゅう)』

 

 善導大師は

  『観経疏(かんぎょうしょ)』

 


 源信僧都は

  『往生要集(おうじょうようしゅう)』

 

 法然聖人は

  『選択集(せんじゃくしゅう)』 

 

正信偈(2)阿弥陀仏へ